インフォメーション

2020-08-13 09:54:00

月山と芭蕉 がっさんとばしょう

元禄二年三月二十七日、門人の曽良をつれて、旅に出た芭蕉は、六月三日清川で最上川と別れ、手向(とうげ)に着いたのは夕方でした。手向の俳人、呂丸の案内でたどる杉の参道は、冷気があたりに満ち、浮世のざわめきを離れた境内には、寺の読経の声と祓川のせせらぎの音だけが、静かに流れておりました。「涼しさや ほの三日月の 羽黒山」。すべりがちな石段を、ゆっくり登る芭蕉の姿を、中天から忍びこんだ三日月が、そっと包んでいてくれたのでしょう。芭蕉と曽良は、精進潔斎をして、六月五日昼まで断食され、六日白布で宝冠を作り、これで頭をつつみ白衣の道者となり、強力(ごうりき)に導かれて月山へ登りました。頂上まで氷雪をふんで、木原三里、草原三里、石原三里の道を登った、四六才の芭蕉の姿が目に浮ぶようです。「「息絶え身こごえて頂上に到れば、日没して月顕わる」。真赤にそまりながらくずれ、青白い月を映して、おし寄せる雲の海の月山で、芭蕉は静かに夜明けを侍っておりました。「雲の峰 幾つ崩れて 月の山」と詠んだのは、月山の背景に乱れていた雲が、氷河の崩れるように、次々と微妙な大自然の動きが見え、月の光はこうした雲の間からこうこうと照りわたり、その景観は偉大で、さなから月のお山の開運を、ことほぐように見えたのでしょう。それから芭蕉は、日の出とともに湯殿山へ下りました。「かたられぬ 湯殿にぬらす 袂かな」。出羽三山の奥の院、湯殿山の御神体は今でも写真を撮ってはいけない事にたっております。湯殿山から再び月山を通って、羽黒山に出、芭蕉が鶴岡に着いたのは六月十日、五月雨のけむる日だったと申します。