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2020-08-13 10:04:00

最上峡・文人たち もがみきょう・ぶんじんたち

古口を後に、庄内の清川までおよそ十二キロの間は、美しい最上川の流れの中でも、最もすぐれたところでへ数々の歌にも詠われ、最上狭と呼ばれております。雪どけや梅雨期には、西側の緑を割って大小四、五十を数える滝がゆったりした最上の流れに落ちて、まことに美しい眺めです。本合海から舟で下った芭蕉は、奥の細道に「最上川はみちのくより出て、山形をみなかみとす。碁点、隼などという恐しき難所あり、板敷山の北を流れてはては酒田の海に入る。左右山覆い茂みのなかに舟を下す。これに稲積みたるをや、稲舟というならし、白糸の滝は青葉のひまひまに落ちて、仙人堂岸に臨みて立つ、水みなきって舟危し 五月雨を集めて早し最上川」と記されております。又明治二十六年八月、この川を下った正岡子規は「朝霧や四八滝下り舟」と、この川に落ちる滝の風情を詠んでおります。山形県の生んだ、文化勲章受賞の歌人斎藤茂吉は、後世に残る最上川の歌を詠みたいと、幾度となく最上川を訪れていますが、その中に「最上川 さか白波の たつまでに ふぶく 夕(ゆうべ)と なりにけるかも」と嵐に見舞われ、自然の力を荒々しくふりまわしている時の様子をよんでおります。昭和の中期、この道を通り羽黒へ詣でた高浜虚子は「夏山の 襟を正して 最上川」とよんでおります。