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2020-08-13 10:39:00

哀歌・新庄節 あいか・しんじょうぶし

猿羽根山は標高一四三メートルで、最上、庄内の重要な関門であり、叉陸奥の多賀城から出羽、秋田の雄勝を結ぶ重要な地点でした。「猿羽根山越え 舟形越えて あいに来たぞへ馬場町」と新庄節に唄われて、貧しさにたえかねた老婆が、愛しい娘を馬場町の郭へ売り、訪ねて行くという悲しい話をもりこんだ歌です。明治元年、戊辰の役の時、新庄戸沢藩は奥羽鎮撫総督、九条道孝から庄内の酒井討つべしの指令を受け、菊花の旗をひるがえし、猿羽根の嶮を守ったのですが、親しい知り合い同志の藩士達は、戦意なくただ義理の戦いをしたのみで猿羽根から退却してしまったといいます。頂上近くからふりかえれば、尾花沢の町並やキラリと光る最上川の川筋がながめられます。