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2020-08-13 22:12:00

大石田町繁栄と没落 おおいしだちょうのはんえいとぼつらく

北村山郡大石田町

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最上川を利用して、山形特産紅花や米か運ばれ、江戸、大阪の物産がこの流れをさかのぼった頃は、最大の港町として栄えました。今から三八○年前、最上義光が、最上川の荷物の中継所を、最上郡清水から大石田へ移したのが、大石田発展の糸口となりました。その後、四十年ほど過ぎますと、全国的な銀山ブームが起き、尾花沢の延沢銀山にも、抗夫や山師が十数万人も入りこみ、叉一年で何十万俵の米や紅花、煙草の殆んどが、この大石田町から送られ、大きな船問屋、蔵元の勢力はすばらしく大石田の商人から、金を借りる大名さえ、あらわれる程でした。あまりに、大石田商人の勢力が伸び、横暴のふるまいもあったものですから、漆山の庄屋、善左ェ門が江戸幕府に直訴しましたので、これがもとで、最上川を渡る舟は、大石田をただ素通りするようになって、河港としての価値かだんだん減少してきました。鉄道がしかれてからは、昔の舟衆、舟大工等は人力車夫、家大工に変るなど、また大石田からの職人のおよそ七○%が出稼ぎに出て行ったようです。