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2020-08-13 22:16:00

ストーンサークル すとーんさーくる

寒河江市

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鎌倉時代に大江広元の長男親広が、承久の乱に後鳥羽上皇に味方して戦いに敗れ、逃げてここに城を築いて以来の城下町です。広元から十八代高基の代になって、天正十二年(一五八五)、山形城主、最上義光に滅ぼされ、更に元和八年(一六二三)最上氏が改易となってから、鳥居左京の領地となり、寛永十三年(一六三七)鳥居氏の断絶と共に、領土は没収され、明治維新まで幕府の直轄地でした。当時寒河江領は、二万余石、谷地領は一万五千石、尾花沢領の二万余石と共に、寒河江代官小林重郎左エ門の所管で、大江氏が築いた城跡は、現在小学校になっております。遠い昔、村山平野が藻ヶ湖という大きな湖であった頃は、この寒河江は西根と呼ばれ、湖の西側に最も早く開けた町です。そのため駅一帯にかけて遺跡が多く、高瀬山には古墳があり、古代村山文化を示すものとして、貴重な資料となっております。叉、高瀬山の麓には、先住民族の信仰の対象と言われているストーンサークルがあります。ストーンサークルとは、大きな立った石を中心に、畳半畳の石を約10個くらい環のように並べてあるもので、太陽を拝む信仰から生まれたものです。大正十年、左沢工事の際、発見されたもので、約三○○○年前のものと言われております。