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2020-08-13 22:37:00

本間家 ほんまけ

酒田市

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〃酒田といえば本間様〃といわれるくらい、酒田の本間様は有名です。江戸時代から知られた大金持で「本間様にはおよびもないが、せめてないたや殿様に」と唄われましたように、昔の本間家は、一七万石の庄内藩主酒井の殿様より勢力があったそうです。庄内の人達は、本間さまと様をつけてよびますが、これは、本間家から田畑をかりていた約3000人の小作人たちがへたな自作農をしているよりも、ずっと得といって、何かにつけて非常な恩恵をうけていたからで、たとえば、不作の時は小作料が免除され、農機具を買うためにお金がいる時は、本間家が建てた本間銀行から、年五分という安い利子で、お金を借りることができました。叉、凶作にそなえて、農民のために米をたくわえておくなど、本間家は農民生活の細かいところまで、めんどうを見ていました。このほか、小作人達のためばかりだけでなく、日雇人夫の人達は、冬になって仕事がなくなると、本間銭(ぜに)とよばれるお金を、無利子で春までかりられました。酒田市に大口の寄附が参りますと、本間家がその半分をボンと出すといったように、酒田の人達の長い生活の中に、本間家の恩恵は深くしみこんでいるのでした。大正一五年、本間家が農地開放をはじめた時、小作人たちは喜ぶどころか本間家と縁をきるのをいやがったといわれます。本間家の田を作る方が得だと農民が考えたからで、とかく金持といえば悪口をいわれるものときまっている中で、本間家だけは悪口をいう人がいなかったそうです。