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2020-08-14 13:32:00

新庄市 しんじょうし

新庄市は、元和八年(一六二二)、戸沢政盛公が常陸国松岡(茨城県)から、真室川六万八千石に移封されましたが、その後、城がせまくなったので、沼田と呼ばれた現在の地にうつり、地名を新しい城と書いて「新城」と改めてから、十一代正実までおよそ三○○年間、戸沢公の城下町でした。元和年間(一六一五~一六二三)最上家が相続争いの結果、幕府の命令で領地を没収され、近江の国に一万石で移されました。その時、山形城に鳥井忠政を封じ、新庄には忠政の妹の夫である戸沢政盛を、そして庄内は有名な徳川四天王の一人、酒井忠勝の子を移して庄内のまもりとしました。新庄はこの時移りました戸沢政盛が初代であって、庄内の酒井家と共に明治まで続きました。徳川幕府としては、外様大名最上一○○万石をつぶし、譜代の鳥居、酒井を中心にして兄弟三人にわけあたえたということでした。明治維新後、明治三十三年奥羽本線開通、大正六年陸羽東西線の開通により、その交差点となり、昭和二十六年最上盆地の中心都市として県で五番目に市政がしかれました。