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2020-08-14 16:26:00

加茂・港町 かも・みなとまち

鶴岡市加茂

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山間から海辺に続く台地に発達した、港町です。両側の家を見ておりますと判りますが、台地の方には小さな普通の民家が建ち並び、海に近ずくにつれて、土蔵のある大きな家が建っております。この土蔵のある家は、北は元の樺太や北海道、南は関西を相手に、ここが東北の代表的な良港とした栄えた昔に、船問屋を職業にしていた家です。港が盛んだった頃、加茂には十数軒の酒屋があり、台地の一番上にある町は、三味線の音が聞える遊廓街でした。夕日に赤くそまった港の沖に、千石船の白帆が二つ三つ現われると、町の中はひつくり返るような忙しさ、夜になると、ポンポリに火のついた家々からは、三味線の音が流れ、船頭の唄う船唄で暮れて行きました。加茂の港は一説によりますと、約一、三○○年以上前の奈良朝時代に開かれたと言われておりますが、はっきりした時代は判りません。ただ、鎌倉時代中頃に港は始まっており、又三七○年以上前、村造りがされたと言うことです。「主と船が波間に消えて 風のたよりもないままに 指おり数えて早や三月」、これは出船、入船で栄えた昔、加茂登り町の遊女「お京」が、堺の船頭に寄せた恋文の一節です。このように、今は漁港となった加茂も、もともと貿易港として成長し、上方商人との取引で、発展して参りました港です。一番栄えた江戸時代の中頃には、問屋の数は三○軒をかぞえ、宮城県の塩釜港と並んで、全国に名前を知られたぽどの港だったそうです。それ以来、大正時代の中頃まで、港の繁昌が続きましたが、大正十四年に羽越本線が開通しますと、物資の輸送は汽車を利用するようになり、新しい時代に取り残された加茂の港は、単なる漁港になってしまいました。