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2020-08-14 22:29:00

鼠ヶ関の関所跡 ねずみがせきのせきしょあと

鶴岡市鼠ヶ関

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福島県の白河関、勿来関と共に奥羽三関の一つです。今から約一三○○年以上前、孝徳天皇の白雉四年(七五四)羽越国境、鼠噛(ねずがみ)岩附近の天険の地に設けられたのが、念珠関所の最初のものといわれます。阿部比羅夫が蝦夷征伐の大任を帯びて、この沖に水軍をひきいて、北上したといいます。又伝説によると、それより前、大和の国に小角(おずぬ)という、行者がいて、中国へ渡っての帰り、海上で遭難し、ぼろ一枚、数珠一連のほか無一物になって、命からがらこの港に漂着して、土地の人々に救われました。行者は「ここは何という浜じゃ」と聞いたが、里人は「定まれる地名とてありません」といいました。目の前に、点々と数珠をつらねたような岩石が、一条の道をつくっているのをみて、上人は手にした一連の数珠をまさぐりながら、「ここを念珠の浜と呼びなさい」をいいました。これが地名の起りと伝えられています。とにかくこの関所は、大宝元年(七○一)関の令が定められて以来一三○○余年、この地にあり鼠ケ関と共に歩んで参りました。このような関所は、その頃から諸国に実施されましたが、時代と共に或は荒廃し、或いは通行税に目的をおいて、旅人に迷惑をかけるのも、少くなかったといいます。織田信長は、領内に関所を禁じましたが、徳川時代に入って再びこの制度が復活し、全国に配しました。この念珠関を、日本の歴史の中にひろってみますと、平安の末、この関所附近で、安部貞任と八幡太郎義家の軍勢が、しのぎをけずり、鎌倉時代には、兄頼朝に追われて奥州平泉に逃れゆく、源義経一行が関守の目をかすめるために、苦労して通った所です。現在、関所跡といわれているのは、徳川時代の関所で、元和八年(一六二二)酒井忠勝公が庄内藩主として、鶴岡に入部してから設置されたものです。元禄二年三月(一六八九)江戸深川の草庵をあとに、みちのく行脚に出た芭蕉は、同年五月山形県に入り、四○日間県内をめぐって六月、この念珠関を通り「みじか夜を 鼠の関の 夏の月」と詠んで新潟県にぬけております。