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2020-08-14 22:41:00

黄金堂 こがねどう

鶴岡市羽黒町手向字手向

0235-62-2500

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七七四年の昔、源頼朝がかつて三代の栄華を誇った奥州平泉の藤原氏を攻め亡した時、戦いに勝ったお礼としてこのお堂を建て、羽黒山に納めたと伝えられております。その後、文禄五年(一五九七)と文政十二年(一八二九)の二回ほど修理されましたが、鎌倉時代の建築様式で建てられ、昭和四年、国宝に指定されて、只今は重要文化財になっております。(戦後国宝の基準がかわったため) *山門:格子にワラジが下っております。中に納められている仁王様があのワラジをはいて、奉納した人の代りに、月山にお参りしてくると信じられております。中の仁王様は、体中に紙つぶてをくっつけております。自分の痛むところ、不自由なところと同じ所に、紙つぶてをぶつつけると、御利益たちまち現われて、知らず、知らずの中に、仁王様が治してくれるそうです。木立の中に釣鐘が見えております。この鐘は、普通のとは一寸違い、一番上の真ん中にポッカリ穴があいて、「朝鮮釣鐘」といいます。 注連縄(しめなわ):、左右の家には、注連縄をはって、神社のような構えをした家が沢山あります。昔は御恩顧分(ごおんこぶん)と呼ばれた、格式の高い、山ろく修験者の子孫の家で、明治十五年に神社から「祝部(はふり)」という名前をもらい先祖代々、宿坊を職業にしております。その昔宿坊は、三三六軒ありましたが、今では少なくなりました。こうした宿坊は、昔から関東、東北の各地に「霞」とよばれる、特定の縄張りを持っていました。そして霞の信者を廻ってお祈りをしたり、お札をくばったり、参拝に来た信者を、自分の宿坊に泊めたりしていたものです。ですから、昔の手向(とうげ)の入口には、関所を作って信者を見張ったといわれます。自分の霞信者を、自分の宿坊に案内するためです。この他、昔は清僧、行人と主ばれる山伏もありましたが、今はおりません。通り過ぎて行く左右の家々、横に木を通している門は、「貫通し門」叉は「冠木門」といつて、御恩顧分山伏の家だけに残っている門です。又、門に「千葉県」とか「埼玉県」とか書いた、木の札がさがっているのが見えます。この木の札が先程の「霞」を表わしています。玄関の上に、黒い麻のついた太いなわを飾った家があります。これは一月三十一日の松例祭というお祭の時に、大きなタイマツを引っ張った綱です。家内安全、無病息災のお祈りをこめて軒下に納めております。 随神門:羽黒山境内の入口にある門で、元禄年間、秋田の矢島の藩主の寄進になったものです。門の前に、開祖蜂子皇子にゆかりの、天拝石(てんぱいせき)があります。