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2020-08-14 22:47:00

修験道・出羽三山 しゅげんどう・でわさんざん

鶴岡市羽黒町手向字羽黒山

0235-62-2111

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修験道というのは、日本古来の古い宗教ですが、余り一般の人には知られていないようです。羽黒山と山伏は密接な関係があり、この修験道の道者を山伏と呼ばれ、昔は”やまぶせ”とも呼ばれていました。修験道は人里遠く離れた、深い山の中に入り、修業中は険しい山路を歩き、夜は岩かげに横たわって、難業苦行の生涯を続けます。そんなことから、山伏という字は山に伏せると書きます。全世界に共通することですが、古代の未開人には、「自然崇拝」という素朴な信仰がありました。修験道も、この自然崇拝から始まった信仰といわれます。古代ペルシャでは犬が神様であり、エジプトでは猫やいたち、インドの牛、アイヌ人の熊などは動物崇拝で、又、太陽崇拝では、ギリシャ、ローマ神話に出てくる太陽の神アポロンがあり、日本では天照大神の〃天の岩戸〃の神話などがあります。このような自然崇拝の中で、直接修験道の母体になったのが”山岳崇拝”といわれる、山への信仰でした。山が噴火して、火の雨が野山に降りそそぐと、山の神の怒りと思い、そして、少しでも早く怒りがとけるようにと、生贄をささげたり、叉、高い山は天と地を結ぶ神様の、通り道だと信じこんでいました。例えば、ギリシャ神話のゼウスの神は、オリンポスの山に住んでいると信じており、日本の神話の高天原(たかまがはら)も同じように、山そのものに神を感じた素朴な信仰でした。このよう仁して始まった山岳崇拝が、人々の間仁拡まりますと、その山へ入って生活し、生きながら神に近ずき、力を得ようとする、修業者が出てきました。この人達は人里を離れ、木の実を食べたりして、つとめて原始的な生活をし、火や水を恐れず、険しい山道をより以上早く走ったり、およそ人のやり得ないような修業を積み、遂には、俗に神通力といわれる、不思議な精神力を身につけた山伏が生まれ、その人達が信仰する、修験道が出来上りました。このように修験道は、神仏両方の宗教の上に、成立した独特な宗教でした。山伏で興味あるのは、首からぶらさげたあのホラ貝です。ホラ貝は昔、山伏が山で修業中、熊や狼を追いはらうため仁鳴らしたのが始まりで、それがまた遠くまで聞こえるので山中の山伏同士の連絡に使われ、のちには、非常な時のサイレン代りに使われたそうです。戦国時代には、山で修業し、里人にしたわれ、ホラ貝での通信技術を持った山伏に、新らしい役目が生れました。各地の山にくわしく、悪天候の時でも山を正確に歩き、思いもよらぬかくれ道を知っているなどということがスパイの役目にぴったりでした。そんなことから、諸国の豪族に雇われるようにになり、後には山伏自身が武力を身につけて堂々と豪族とわたり合う程の、勢力を持つようになりました。しかし、明治元年、神仏分離令、続いて五年の修験道廃止令が出て、修験道は廃止されてしまいました。鎌倉時代から明治維新までは、一番勢力のあった出羽三山の修験道も、時代の波には勝てなかったようです。戦後、出羽三山は国の管理を離れて、三山神社になりましたが、今は古い歴史をもった観光地として、全国に紹介されています。