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2020-08-14 22:57:00

修験道 しゅげんどう

鶴岡市羽黒町手向

0235-62-2111

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羽黒山は、「修験道」という、特殊の宗教で栄えた所です。修験道とは、日本特有の古い宗教です。修験道は人里遠く離れたけわしい山の中に入り、自然を相手に呪文を唱え、祈祷しながら難行苦行を積み、神通力を身につけることをいいます。全世界に共通しますが、古代の未開人には、「自然崇拝」という素朴な信仰がありました。修験道もこの自然崇拝から始まった信仰です。自然崇拝は、とても原始的な信仰ですが、その例をあげてみましょう。古代ペルシャでは犬が神様、古代エジプトでは、猫やいたち、インドの牛、マトラの土人は、わにや虎、アイヌ人は熊等です。又、「太陽崇拝」と言うのもあります。ギリシャ、ローマの神話に出て来る太陽の神「アポロン」がそうですし、日本では、天照大神の「天の岩戸」の神話もそうです。このような自然崇拝の中で、直接修験道の母体になったのが、「山岳崇拝」と言われる山への信仰です。山が噴火して、火の雨が野山に降りそそぐと、山の神が怒ったのだと考えました。そして生賛を捧げて、少しでも早く怒りがおきまるように祈ったのです。又高い山は、天と地上を結ぶ神様の通り路だと信じこんでおりました。例えばギリシャ神話に出てくるゼウスの神は、高さ二・九一八メートルの、オリンポスの山に住んでいると信じられていました。日本の神話の高天原も同じように、山そのものに神を感じた素朴な信仰です。このようにして始った山岳崇拝が、人々の間に広まりますと、その山へ入って生活し、生きながら信仰する神に近ずき、神の力を得ようとする、修業者が出てまいりました。こういう人達は、好んで人里を離れ、けわしい山路を歩き、木の実を食べ、岩かげで夜を過して修業を続け、修験道特有の神秘主義と、超世間的な性格の基礎が作られて来たのです。西暦五三八年頃、仏教が我国に伝わりますと、昔からの山岳崇拝と結びつき、やがて密教が盛んになりますと、ますます山岳修業と強く結びつきます。そして普通人には知られない山奥に入って荒行をつみ、遂には山々を身軽に走りまわる体力‐と、俗に神通力といわれる、不思議な精神力を身につけた山伏が生れ、その人達が信仰する、修験道が出来上ったのです。このように修験道は、神仏両方の宗教の上に、成立した独特の宗教です。ですから山伏は、珠数や金剛杖を持ちながらも、神道特有の精進潔斎や、おこもり等の行事をするのです。羽黒修験道は、今から一三九○年ほど前に、崇峻天皇の第一皇子、蜂子皇子が始められたと伝えられ、出羽三山を中心にして、今の関東地方、奥羽地方を地盤にして、栄えてまいりました。他にも和歌山県の熊野、九州の彦山などもありますが、鎌倉時代から明治維進までは、出羽三山が一番勢力があったといわれております。明治元年、神仏分離令が出ますと、三山神社として再出発しましたが、明治五年には、修験道が廃止されてしまいました。