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2020-08-15 10:03:00

文下 ほうだし

鶴岡市文下

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文章の文という字と、上下の下という字をかいて、ほうだしと呼ぶ、変った名前の集落です。ほうだしという地名が生れた由来について、こんな話が伝わっております。ときは戦国時代、日本国中で戦いがくりひろげられ、織田信長、武田信玄、上杉謙信などをはじめとする武将達が、勢力争いをしていた頃のことです。山裾に田尻舘という小さいお城があり、主を安保(あほ)余次郎といいました。ある時余次郎は、今の大山町にある尾浦城の城主、武藤左京太夫から招ねかれ、酒肴のもてなしをうけてよい気分になり、この辺りまで帰ってきた時のことです。余次郎は急にお腹がい痛くなり、倒れてしまいました。武藤左京太夫から、毒をもられだのです。もはやこれまでと考えた余次郎は、最後の力をふりしぼって遺言状を書きました。しかし、家来も皆倒れ、遺言状をとどける人もおりません。余次郎はしかたなく遺言状をそばの赤川の流れに託したと伝えられています。