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2020-08-15 10:08:00

天沢寺 てんたくじ

鶴岡市丸岡町の内36 

0235-57-2252

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戦国時代、六十里越街道を見張る、三つの砦があったところです。当時の侍大将の名を伝えて、丸岡、備前、鳥飼の集落名が残っております。その一つの丸岡は、加藤清正のお墓と、清正の子、加藤忠広の住んでいた加藤館のあるところとして、知られています。加藤館は、寛永九年(一六三二)徳川三代将軍の家光の頃、「熊本五二万石は没収、お家断絶の上、一族は諸国に流罪のこと」。徳川家の安全を計るため、豊臣家の重臣であった加藤家を、わずかなことからとりつぶし、夫人や子供と別れて忠広公は、母親とただ二人、二十人の供に守られて、丸岡領一万石に移られたのです。そして、寛永九年から二十二年間、遂に許されることなく、この丸岡で終っております。又、丸岡で蟄居した忠広公が、九州熊本に残した父、清正の亡骸を、丸岡の天沢寺に移しております。当時の庄内藩主、酒井忠勝公は、武士の情を知る人で、めだたぬように九州へ旅立つ忠広の家来を召し取りもせず、幕府へ報告もせず、無事に帰って行くのを、見守っていたと伝えられます。昭和二十四年、丸岡の天沢寺の墓が調査され、五輪塔の中から、九州の弓野焼といわれる、茶の湯の水さしから、清正公の遺言と、別に夫人の遺骨が発見されました。これによって、長い間なぞとされていた、清正夫妻のお墓もわかったのです。今でも天沢寺には、清正公の鎧、兜をはじめ虎の皮で作った、煙草入れが、保存されています。