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2020-08-16 17:20:00

小国地方と馬 おぐにちほうとうま

西置賜郡小国町

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戦前までこの盆地は「最上駒」の産地として知られ「一に小国の駒、秋田南部の駄駒」と古い記録に残されています。講談でおなじみの曲垣平九郎が、愛宕山の石段を登った馬も、明治天皇のご乗馬も共に、ここの産であるというのが、土地の人の自慢のタネです。戦時中は、軍の買いあげなどで賑わった馬市も、敗戦と耕運機の進出で、すっかりさびれてしまいました。この小国駒の歴史をたどりますと、今から一一○○年程前、山寺を開いた慈覚大師が、この地方が馬の飼育に適しているというので、馬頭観音をきざみ、明神山の西のふもとの富沢に祀って良い馬の産出を祈願したといわれます。寛永年間(一六二四~一六三八)に、新庄藩の乗場役、伊藤八左衛門という人が、三春から牡馬、五戸から牝馬を求めて、小国郷で飼育したのがはじまりで、それからのち、この地方から良い馬を産するようになったといわれます。毎年、富沢馬頭観音のお祭りの前後三回、集落ごとに二歳駒を集め、藩の厩役人や伯楽が出張して「駒改め」今でいう品評会をひらき、優秀な馬を質いあげたといわれます。明治十六年、小国産馬組合を作り、明治二十五年、陸軍の乗馬買上げの指定を受けてから、小国駒の名は全国に知れわたりました。今でも、毎年七月三十日から二日間宮城、秋田、岩手から集まる多勢の人を相手に競走馬の二歳駒の市が開かれて、大変にぎわっております。売られてゆく馬の前で別れの酒をくみかわし、受けとった代金で、この市を目あてに店を開く露店から、家具、日用品を買って帰る様子など、馬の町小国地方ならでは見られぬ、風物詩も今は昔語りのようです。