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2020-08-16 22:22:00

間沢義民の墓 まざわぎみんのはか

西村山郡西川町間沢

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寛永十年十月(一六三四)、領主の幕政を幕府に訴え、処刑された義人の墓があります。元和九年七月、酒井忠勝の弟、酒井長門守忠重が、八千石で此の白岩郷を治めるようになりました。忠重は、大変乱暴な領主で酒を好み、重税をとりたてて領民を苦しめたため、十四年の間には身を売り、或いは餓死するものが四千五十余人に及び、領主の圧制にたえかねた領民は、忠重の悪行二十三ケ条を書いて、お国廻りの上役人に七回程訴えましたが、効果がないばかりか却って忠重の怒りをかい、ますます苦しめられるばかりでした。このため義侠に燃える三八名の代表が、江戸に上り幕府に訴え捕えられ或は殺され、或は自殺しはてました。忠重は重い税をかけたばかりでたく、それを納める事が出来ないとわかると、三年で一両のわりで百姓の若い妻をかりたりしたといいます。しかし寛永十年、酒井家は領地没収となり断絶いたしました。それから五年後やっと許されて、直訴した人々の墓を東泉寺に建てたのです。東泉寺は由諸深い薬師如来をお祀りしております。