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2020-08-17 08:59:00

安久津八幡宮 あくつはちまんぐう

東置賜郡高畠町安久津2011

0238-52-5990

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山形県で唯一の三重塔のある神社です。安久津八幡宮は貞観八年(八六六)に慈覚大師が、豪族・安久津磐三郎の協力を得て、阿弥陀堂を建てたのが始まりと伝えられています。その後、平安時代後期の後三年の役のとき、源義家は戦勝を祈願して、鎌倉八幡宮の分霊を移して東八幡社といたしました。伊達氏の信仰が厚く、慶長年間(一五九六〜一六一四)には上杉景勝が、五十石の社殿修復料を寄進し、寛永七年(一六三○)に上杉定勝が社殿を造営しています。祭神は誉田別命(応神天皇)です。 

八幡宮案内=爺婆石:境内入口にある左右の石を爺婆石(じじばばのいし)と呼んでいます。この石は、八幡太郎義家の家人・鎌倉権五郎景政が、一夜にして運んできたと伝えられています。  

高畠郷土資料館:ここでは、高畠町の調査や研究、発掘したものを展示、公開をしており、併設されている郷土文化保存伝習館とともに、町民の生涯学習の場としても利用されています。  参道の右側の池:池は鎌倉権五郎景政が、鳥海弥三郎に左目を射抜かれたが、ひるむことなくこれを倒し、矢で討たれた目を洗った池といわれ、それ以後、この池には片葉の芦がはえ、片目のフナが住むと伝えられています。奥羽地方には、目を負傷した景政が戦場から帰る途中に目を洗い、その矢傷を治した、という伝説を伝えるところがたくさんあります。左手の池を三島ヶ池といいます。  

三重塔:三島ヶ池のほとりには、三間四方の重厚な三重塔が建っています。はじめは江戸時代初期の寛永二年(一六二九)に建てられましたが、寛政二年(一七九○)の大風によって倒壊したため、寛政九年(一七九七)に再建され、現在、県の重要文化財に指定されています。   

舞楽殿:室町時代の末期の建物は方一間宝形造で、たびたびの修復にもかかわらず、当時の面影を残しています。阿弥陀堂跡にむかい東むきに建っています。これも県の重要文化財です。  八幡宮本殿:西の成島八幡社に対して東の八幡社として崇敬されてきたのが、この安久津八幡宮です。源義家(八幡太郎義家)が、後三年の役(一○八三)の戦勝祈願のため、鎌倉八幡宮の分霊を勧請したと伝えられ、三度の火災により社宝などすべてを焼失してしまいましたが、宝暦五年(一七五五)、上杉氏によって社殿を再建しています。本殿も県の重要文化財です。