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2020-08-17 11:16:00

立ち道・悲話 たちみち・ひわ

東村山郡

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山辺と長崎を結ぶ道で、「立ち道」と呼ばれます。文亀年間(一五○一~)長崎城主直正(五代)が、政略のため嫌がる姫を山辺城主に嫁がせる事にしました。その当時はまだ道がなく、廻り道をしなければならなかったので、姫の結婚記念に莫大な費用を使って、わざわざ道をつくらせました。花嫁衣裳に美しく着かざった姫が、大勢の武士達を従えて駕篭の人になりました。行列が立道をすぎて山辺城に近ずいた頃、かごの中が余り静かなので、供の者がかごを開けてみると、白無垢の花嫁衣裳を紅の血潮で色どり姫は舌をかんですでに、こときれておりました。それ以来嫁入りの時には、この道を通ると不縁になるとか、嫁いだ後不幸が続くとか言われ、花嫁の車だけは、あの道をさけて遠廻りするようにたりました。