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2020-08-17 11:20:00

達磨寺 だるまじ

東村山郡中山町達磨寺

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達磨寺は、昔からだるまの掛軸がありましたが、それについていろいろな伝説をつくり、生達磨と言われるようになったので、お寺の名が知られるようになりました。伝説の一つにこんな物語があります。昔、この村に山野辺右エ門太夫義忠、(最上義光の四男、山辺城主)の家臣で、原田大学と言う人が、村の庄屋を勤めておりました。ある年の春、たそがれ時に破れた衣に杖をつき、重い足どりでやって来た、一人の旅僧がありましたが、大学の屋敷を見ると、とぼとぼと入って来て一夜の宿を求めました。情深い大学は、老僧の哀れな姿を見てかわいそうに思い、家に招き入れて丁寧にもてなしました。ところが夜中になって、突然その老僧が苦しみはじめたので、大学は驚き、家内中で手厚く看病しましたが、その親切も空しく、「私の亡骸は火葬にしないで、壷に入れ須川のそばにある桜の木の下に埋めて下さい。そして七日経ったら壷をあけてみて下さるように」と言い残して死んでしまいました。ねんごろに野辺の送りをすました大学は、旅僧に言われた通り、七日目になって壷を堀り出してみると、壷の中に亡骸はなく、一巾の掛物が入っておりました。大学は驚いてこれを開いてみると、大変立派な達磨大師の尊像が書いてあったので、物体ないととだと思って早速、家に祀ることにしたのです。するとこの話が村中に知れわたり、参詣者が続々と集まって来るようになり、はては達磨がお供物を食べたり、眼ばたきしたりするという噂がひろまり、誰言うとなく「生達磨」と呼ばれるようになりました。大学はその後、自分の家に祀っておいては失礼になるというので、この達磨の掛軸を菩提寺に寄進しました。それ以来寺の名も、達磨寺と呼ぶようにたり、この掛軸が今なお残っております。