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2020-08-17 11:23:00

高橋常治 たかはしつねはる

東村山郡山辺町

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笹谷トンネルの掘削(砂、石などを掘り取り穴をあけること)に半生をかけた人です。昭和二十二年冬のこと、常治氏の伯父さんが知人の結婚式で仙台に向うために笹谷峠越えをした折、山中に迷い帰らぬ人になりました。その頃は、川崎町や仙台に野菜を売りに出る農民が雪に埋もれたり、霧に迷ったりして命を失う悲劇がくり返されておりました。こうした犠牲者の話がある度に常治は心が痛み、トンネルを掘る事を思い立ったと申します。常治は県議を務めたこともありましたが、やがて政治から手を引き、若い頃独学で得た土木の知識を頼りに笹谷峠を調べる一方、関沢集落(山形市)の悲願の声をまとめて山形、宮城両県の市や町の有力者に日参したのです。そしてトンネル掘削の必要性を訴え、蔵王の研究で有名な安斎徹・山形大学教授の協力を得ることができました。こうした常治の蔭の力で、「笹谷隧道開削期成同盟会」が結成されたのは、昭和三十三年八月のことでした。当時の山形市長・大久保伝蔵氏を会長に、仙台、川崎町など二十数市町村が参加して建設省や県に陳情をくり返していましたが、そのさなかに常治は故人となってしまったのでした。しかし、これをきっかけに色々な運動がもり上り、ついに昭和四十五年、笹谷街道は国道二八六号線に昇格し、三年後の四十八年にはトンネルエ事が開始され、現在のような立派な道路が出来上りました。高橋常治氏こと高常トンネルの存在は、その努力の生涯を末長く語り継いで行くことでしょう。