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2020-08-17 11:25:00

山辺町 やまのべまち

東村山郡山辺町

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山辺町は元和年間(一六一五~)の「和名抄」という本によりますと、「最上郡二十四郷あり、山辺郷その一におり、東は山形郷に接し、北は八木郷に隣(よ)る」と言うことが書いてあり、山辺の地名も古く斯波兼頼が山形に入部以来、その領地、となり、代々最上氏に属し、その後幕府の領地となったり、酒井氏の領地となったり、色々変遷がありました。山辺町は綿織物工業が盛んですが、昭和十年に中国から七名の技術者を招いて、じゅうたんを生産したのが始まりで、我が国での中国式じゅうたんの発祥地となっております。やわらかでどっしりした手ざわり、日本画を思わせる淡い色彩感覚、山辺の手織じゅうたんは、ほとんどが装飾用で四畳半のじゅうたんを織るのに、四人がかりで二ヶ月はかかるというそれは豪華な物です。日本国内はもちろん、海外へもどしどし輸出しており、昭和三十九年四月に、パウロ六世がローマ法王に就任した時、バチカン宮殿の聖壇をかざるために、カナダ人が贈ったじゅうたんは、この山辺で織られたものです。また国内では昭和四十九年三月、皇居新宮殿の春秋の問に、大きさ三百五十畳のものが敷きつめられており、赤坂の迎賓館の各寝室にもこの山辺の手織りじゅうたんが、それぞれ使われています。山辺は昔から紺木綿や青苧(麻)糸で作った蚊張を生産しておりましたが、これが今のじゅうたん織やメリヤスエ業の基礎となったといわれます。じゅうたんやメリヤスを作るのは、農閑期を利用することができますし、それよりも一番は、山形県民のねばり強い性格が、このじゅうたん製造に適しているということです。