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2020-08-17 14:07:00

林崎甚助重信生誕地 りんざきしんすけしげのぶせいたんち

村山市林崎

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我国の武道の内、居合術の元祖です。「日本一社居合神社」に祀られています。塚原卜伝、宮本武蔵などは、小さな子供まで、知っておりますが、林崎甚助重信となると、あまり御存知ない方が多いようです。重信は、親の敵を打つべく林崎明神に三七三日の間、願をかけて、満願の夢に長柄の太刀を用いよとのお告げを受け、気合と同時に、抜く手もみせず、刀はさやに戻っているという、早業居合術を編みだしたのです。一八歳の時、故郷の名をそのまま名乗り、あてない仇討の旅に出ましたが、たまたま京都の近くの民家に押し入った七人の盗賊を打ちとった事から有名になり、時の将軍、足利義輝の前で、諏訪流の達人新田一甫と御前試合を行い、見事に勝って信国銘の三尺三寸の太刀をたまわった様でした。諸国を廻った末、山城国伏見忙於いて、父仇、坂上主膳とめぐり合い、「珍らしや一雲斉」と呼ぶと同時に主膳の首は前に落ち、廻りにいた人々は、バチッと言うつば鳴りの音だけ聞いただけだったといいますから話半分としても、たいした早業でした。重信は早速林崎に帰り、拝領の信国(のぶくに)の太刀を、林崎明神に奉納し、再び修業の旅を続け、林崎夢想流を編みだしました。後、林崎明神は、重信を合祀してから、居合神社と名を改め、この剣聖を長く記念することになりました。